収録CD:
軍歌戦時歌謡大全集(評)
軍歌・戦時歌謡大全集1
明治・大正の軍歌(評)
1. 吾は官軍我が敵は 天地容れざる朝敵ぞ 敵の大将たる者は 古今無双の英雄で これに従ふ兵は 共に慄悍決死の士 鬼神に恥じぬ勇あるも 天の許さぬ反逆を 起こしし者は昔より 栄えしためし有らざるぞ 敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に 玉散る剣抜き連れて 死ぬる覚悟で進むべし |
【起こしし】・・・「起こせし」は文法的に誤。後者の方が発音し易いが。 【死ぬる】・・・「死する」でも可能。以下同じ。 【玉散る剣抜き連れて】・・・「抜けば玉散る氷の刃」。「音に聞く村雨の宝剣。抜ば玉散る、露か雫か。奇なり妙なり。」(『南総里見八犬伝』、岩波文庫版2巻、139頁)、「嚢の紐解き執出す、件の刀を引抜ば、三尺の氷、夏猶寒き稀世の名刀」(同10巻、159頁) |
2. 皇国の風と武士の その身を護る魂の 維新このかた廃れたる 日本刀の今更に また世に出づる身の誉 敵も味方も諸共に 刃の下に死ぬべきぞ 大和魂ある者の 死ぬべき時は今なるぞ 人に遅れて恥かくな 敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に 玉散る剣抜き連れて 死ぬる覚悟で進むべし |
【皇国の風と】・・・ここの「と」は「〜として」の意味だろう。 【武士の】・・・「武士は」は誤。意味が不通。『新体詩抄』でも「の」となっている。この時期はまだ「国文法」が公式に整備されていた訳ではないが、だからこそ一層原文の重視が求められる。 【死ぬべきぞ】・・・「死ぬ(す)べきに」でも可。 |
3. 前を望めば剣なり 右も左もみな剣 剣の山に登らんは 未来のことと聞きつるに 此世に於て目のあたり 剣の山に登るのも 我身のなせる罪業を 滅ぼすために非ずして 賊を征伐するが為 剣の山もなんのその 敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に 玉散る剣抜き連れて 死ぬる覚悟で進むべし |
【剣の山】・・・地獄にあるとされていた山。最古の出典は不祥。なお、身近なところでは『蜘蛛の糸』の中に「それは恐しい針の山」といった表現がある。 |
4. 剣の光ひらめくは 雲間に見ゆる稲妻か 四方に打ち出す砲声は 天に轟く雷か 敵の刃に伏す者や 弾に砕けて玉の緒の 絶えて墓なく失する身の 屍は積みて山をなし 其血は流れて川をなす 死地に入るのも君の為 敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に 玉散る剣抜き連れて 死ぬる覚悟で進むべし |
【玉の緒】・・・生命。式子内親王「玉の緒よ絶えなば絶えねながらえば 忍ぶることの弱りもぞする」(百人一首) |
5. 弾丸雨飛の間にも 二つなき身を惜しまずに 進む我が身は野嵐に 吹かれて消ゆる白露の 墓なき最期遂ぐるとも 忠義の為に死ぬる身の 死して甲斐あるものならば 死ぬるも更に怨なし 我と思はん人たちは 一歩もあとへ引くなかれ 敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に 玉散る剣抜き連れて 死ぬる覚悟で進むべし |
【ならば】・・・「なれば」でも可能かもしれない。意味は少し変わるが。 |
6. 吾今茲に死なん身は 国の為なり君の為 捨つべきものは命なり 仮令屍は朽ちるとも 忠義の為に捨つる身の 名は芳しく後の世に 永く伝へて残るらん 武士と生まれし甲斐もなく 義のなき犬と云はるるな 卑怯者とな謗られそ 敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に 玉散る剣抜き連れて 死ぬる覚悟で進むべし |
現代語訳らしきもの |
1. 我は官軍、我が敵は天地も許さぬ朝敵だ。 敵の大将である者[西郷隆盛]は古今類なき英雄で、 彼に従う兵たちは全て決死の覚悟をした屈強な男たちである。 彼等は鬼神にさえ引けをとらない勇者たちではある。 しかしたとえ彼等が幾ら勇敢であるとはいえ、 天の許さぬ反逆を起して未だかつて栄えた者などはいないのだぞ。 敵が滅びるその時まで、一丸になって進めよ進め。 |
2. 皇国日本の伝統的な慣わしとして、 武士は日本刀を自分の身を護る為に魂のごとく大事にしてきた。 その日本刀も明治維新以来すっかり廃れてしまったが、 西南戦争にあたって再び世に出る光栄を得た。 だからこそ敵も味方も一緒に刃のもとに死ぬべきではないか。 大和魂を持つ男児が死ぬべきなのは今ではないか。 人に死に遅れて恥をかいてはならないぞ。 |
3. 前を眺め見れば剣、右も左もすべて剣ばかり。 地獄にあるという「剣の山」に登るのは 死して後のことだと聞いていたが、 まさかそれをこの世で目の当たりにするとは! しかしこの「剣の山」に登るのは、己が身の罪を償う為ではない。 賊軍を征伐する為なのだ! だから「剣の山」だとはいえ何も恐れる事はない。 |
4. 剣の光は、まるで雲間にみえる稲妻のようだ。 四方でひびく砲声は、まるで空に轟く雷のようだ。 敵の刃に斃れる者や、 弾丸に身を砕かれて呆気なく死んでしまう者たちの、 死体は積みあがって山のようになっている。 その死者の血は流れて、川のようになっている。 このような死地に突入するのも天皇陛下の御為だ。 |
5. 弾丸が雨のように飛ぶところにも、 掛け替えのない命を惜しまずに突き進む。 そんなわが身はまるで、 野嵐に吹かれて忽ち消えてしまう水滴のように果敢ない。 たとえ呆気なく死んでしまうとしても、 忠義の為に死ぬのが意義のあることだとすれば、 死んだとしても何も思い残す事はない。 だから我こそはと思う者たちは、一歩もあとで引いてはならない。 |
6. 我が身の今ここに果てようとするは、国家と天皇の御為である。 捨てるべきものは生命である。 たとえ死体は朽ち果ててしまうとも、 忠義に殉じた名は永久に語り継がれることであろう。 武士として生まれた甲斐もなく、 義のない犬や卑怯ものなどと罵られてはならない。 |
<備考> |
[曲について] 西南戦争に動員された警視庁抜刀隊を謳った軍歌。『新体詩抄』(1882)上で発表。抜刀隊は白兵戦の要に需えて急遽、武道の嗜みある士族から編成された部隊でした。 作詞者の外山正一は『新体詩抄』で、西洋に「ラ・マルセイエーズ」や「ラインの護り」[1]のような士気を高揚される歌があるのに倣ってつくったと述べています。つまり、単に過去の忠烈を讃える目的だけではなく、以後も末永く今日から見ると、その外山の目的は果されたといってもいいでしょう。士気を発揚し愛国心を激発させる歌との期待があったわけです。 1885年、陸軍省に雇われたフランス人のルルーが作曲し、軍歌となりました。これを聴いた明治天皇がいたく気に入ったとの報道もあります。「又た此事叡聞に達し、時々御好みあらせ玉ふといふ。」[2] <脚注> - [典拠について] 音源(ともに戦前録音): |