交声詩曲 聖戦賛歌「大陸の黎明」 作詞:北原白秋 1941年 - 成立と詩文 「大陸の黎明」は、支那事変勃発から丁度4年目にあたる、1941年7月7日に初演された交声曲です。「聖戦4周年楽壇総動員大演奏会」という国策音楽会に間に合わせる為に、すでに公開されていた北原白秋の詩に山田耕筰が曲をつけるというかたちで完成しました。 下掲の歌詞をみれば判るとおり、この曲は一般の口上にのぼる事を目的とした歌謡ではなく、いわば記念碑的な音楽だと理解してよいでしょう。歌詞の読解には神話についてある程度の知識を必要とします。その意味では前年に発表された、歌詞は同じく白秋の手になる神武天皇賛歌「海道東征」と事情が似ているといえるかと思います。 ただこの「大陸の黎明」は、神話を拡大解釈しそれを基礎にして、満州事変にはじまる日本の一連の軍事行動を正当化するというかなり危うい内容をもっているのが特徴です。また神話世界から現代へ、また日本から大陸そして世界へと時間・空間両面にわたって広がる壮大な世界観もまた、日本ローカルな「海道東征」とは異なっていると指摘できるでしょう。そしてこの完成度からして、白秋はかなり本気になって詩文をつくりあげた事が想像されます。政府にいわれて仕方なく、という水準ではありません。 「思へ、とどろく跫音に大御軍の征くところ、物ことごとくよみがへり、茜さす日ぞ照り満たむ。」(第4章) - 音源情報 SP盤からの復刻が『山田耕筰の遺産(10)管弦楽曲』というCDに収められています。付属の解説が詳しいので参考になります。なお、このCDには山田耕筰がベルリンフィルで指揮を執った「明治頌歌」という楽曲も収録されています。 また飯田信夫の手になる旋律も存在するようですが、詳細は不明です。 - 歌詞について 付属解説書に歌詞(新字・旧仮名)がついていますが誤記があったり新字への変換が不十分だったりするので、以下の歌詞は『白秋全集』(新字・旧仮名)に拠りました。行の別け方などもすべて『全集』に従っています。ただし第2章と第3章の分割、ならびに第5章の文面については「ゝ」を除き、付属解説書に従いました。 なお歌詞の性格上、読み仮名をつける必要がありますが、手間の都合から省いています。『全集』か解説書をご覧下さい。 - 註について 私が読解する際につくったメモみたいなものです。参考程度に。 A.U.C.2759年9月13日更新 |
第一章 序曲 第一章では天地開闢から神武建国までの様子が描写される。節末に「讃へまつれ、いざや」を幾度も挿入する事で日本神話とその活躍する神々を讃美し、延いてはその子孫とされる現代日本をも讃美する構造となっている。なお、交声曲では6節以下が省略されている。 |
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天地の闢けしはじめ、成りませる神々、 神々を、 (讃へまつれ、いざや。) 天照らす大御神、皇祖、 言依さす中つ国、大八洲この国土 天壌と窮みなき、天津日嗣ここに、 げに宇とおほひます八紘、陸を、海を。 大きなり、弥栄や天つ御業、 おお、今ぞ、大やまと、雲居騰り、 |
第1節:天地開闢 古事記では天之御中主神など、日本書紀では国常立尊などの神々が生まれた。 第2節:天照大御神 第3節:出雲の国譲り 第4節:天孫降臨 第5節:神武建国 これ以降の箇所(6、7節)は具体的な記述はないが、神武東征の軍事行動と即位後の治世を言祝いでいると考えてよいだろう。同じ文面が最終章にも用いられている事から、最終章では支那事変の勝利と八紘一宇・大東亜共栄圏を、この章では神武東征と即位を、それぞれ讃えていると考えられるからである。 |
第二章 白秋の原詩では、この第二章と次の第三章をあわせて「第二章」としている。ここでは、音源に従って原詩を二分割して前半を「第二章」、後半を「第三章」として扱う。 さてこの第二章と次の第三章はこの詩の中でももっとも神秘的な内容で、かつもっとも危うい解釈を内に秘めているといえる。というのもこの箇所は、日本神話をかなり大幅に拡大解釈して、更にそれを根拠にして現代(昭和)日本の支那大陸への侵攻を肯定している部分だと理解できるからである。またそれ故にこの詩の殊に特徴的な部分でもある。 |
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種子ありき、神産び玉と凝るもの、 かく在りき、在りて生き、香は蘊みぬ。 土なるや、大き陸蒙古の底ひふかく、 時ありき、日も知らず、星も別かず、 驚けよ、この命、霊びに若し、 世々ありき、人は興り、地に満ち満ちき。 霾るや、黄なる沙、嵐と哮び、 |
第1節:「むすび」は万物を生み出す神秘の力。産霊。書記に「神皇産霊神」という神がみえる。 第2節:支那大陸の地中には産霊が玉のように凝り固まって出来た「タネ」が眠っているという。 第3節:「タネ」は日星の輝きも知らず、ただ土の中に眠り続けている。 第4節:この節は音源になし。「タネ」に篭る力は古くからのものであるが、神妙にも若々しい。 第5節:地上では徐々に人が増え、国々の興亡が起こる。そうして長い時が過ぎる。 第6節:大陸の黄土、また大河。その地中では生命の源である「タネ」が変らず存在し続け、芽吹く時を待ち続けている。そして、遂にその目覚めの時がやって来た。 |
第三章 第二章の続き。第二章では「タネ」が芽を出す時を待っている様子が述べられた。この第三章では神々の子孫からなる皇軍の到来によって、ついに「タネ」が目覚めて生命を生み出すと内容が展開する。 旋律ではこの第三章は「テムポ・ディ・マルチア」(「行進曲の速さで」)と指示され、それまでにない行進曲風の勇ましい曲調が登場して印象深い。 |
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海を越え、空を蔽ひ、とどろ来るもの、 地響や、音爆ぜて翼搏つもの。 誰ならず、日の御裔、久米大伴が後、 俟つありき、大き陸、今かがやけり、 種子ありき、神産び玉と照るもの、 |
第1・2節:久米・大伴は古代日本の軍事氏族。その遠祖が神武東征に従ったとの記述が記紀にある。それ故、「久米大伴が後」とは皇軍=日本軍のこと。よって1、2節は日本軍が海を越えて大陸にやってきた事をいう。 第3・4節:待っていた皇軍の到来によって、ようやく「むすび」の力によって出来た輝ける「タネ」は芽吹いて、生命が生まれ始める。神々の子孫からなる皇軍には、ずっと眠っていた「タネ」を芽吹かせる力があったという事になる。 |
第四章 第四章は支那事変の具体的内容。これまでの抽象的な内容から一変して固有名詞が頻出する。旋律の勇壮さもここに極まる。最終節の「思へ、とどろく跫音に大御軍の征くところ、物ことごとくよみがへり、茜さす日ぞ照り満たむ。」は、この「大陸の黎明」の構造を象徴する箇所といえるだろう。 |
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聞け大陸の黎明に響くは何ぞ嚠喨と とどろと進む地響きの敢て押し行く勢を。 海を越えたる百万の大御軍の雄叫びは、 沙漠の嵐吹き荒ぶ北は蒙古、満洲里亜、 天より来る大黄河、長江の水さかしまに、 神助の凪に艦泊てて月落ちかかるバイヤス湾、 ああ南の潮黒く、呼べば応へむ波の涯、 思へ、とどろく跫音に大御軍の征くところ、 |
第1・2節:日本軍の大陸への進出をいう。 第3節:満洲里亜は「Manchuria」の音訳か。八達嶺は北平北西の山岳。これら地域は満州事変、北支事変などの結果、日本の実効支配下に入った。 第4節:黄河流域では包頭を1937年10月に、長江流域では武漢三鎮を翌38年10月に攻略。 第5節:この節と次の6節は音源になし。バイヤス湾は香港の東。ここより上陸して38年10月、広州を制圧。海南島は翌39年2月に占領。 第6節:「大東亜共栄圏」の語は1940年から一般的に使用された。「南」は南方地帯、特に当時進駐していた仏印をいうか。 第7節:「物ことごとくよみがへり」は前章の「タネ」が芽吹くという意味も篭められていると推測される。軍事侵攻の正当化である。 |
第五章 第五章は、白秋の原詩と音源では文面を多少異にする。第一章では昔の神武天皇の東征と即位が言祝がれたが、ここでは現代の支那事変と八紘一宇・大東亜共栄圏が賞賛される。 |
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天雲のあをくたなびく大き陸 かく古へも和したまひき。 大きなり、弥栄や、天つ御業、 おお、今ぞ、大やまと、雲居騰り、 |
第1節:はるか昔に神武天皇らが敵を討伐して服属させたように、今支那大陸も平定された。(実際は平定されていないが。) この節は原詩にも存在する。 第2節:このように益々栄える天皇の大政は崇高にして、皇軍は敵をたちまちに平伏させる。そして八紘一宇と大東亜共栄圏の建設。この節は括弧内のみ原詩にあり。 第3節:さあ今こそ雲は晴れて、この聖代を照らしたまえ。皇軍の進出と勝利は「タネ」の目覚めであり、また新しき時代の到来である。かくて大陸の夜明け(=黎明)がここに成ったのであった。 |