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青年日本の歌
昭和維新の歌
1930

作詞・作曲:三上卓

 

収録CD:キング「軍歌メモリアル」(戦後録音)

*土井晩翠からの盗用は黄色、大川周明からの盗用は橙色であらわした

1.
汨羅の淵に波騒ぎ
巫山の雲は乱れ飛ぶ
混濁の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く
・汨羅〜・・・「汨羅の淵のさざれなみ 巫山の雲は消えぬれど」(土井晩翠「万有と詩人」『天地有情』)「浮世の波の仇騒ぎ」(同「希望」)汨羅は屈原入水の地、巫山の雲は男女の情事をいう。「妾在巫山之陽、高丘之阻。旦為朝雲、暮為行雨。朝朝暮暮、陽台之下」(宋玉「高唐賦」)。なお後者の故事の由来は、屈原が仕えた楚の懐王である。
・混濁の〜・・・「混濁の世にわれ立てば 義憤に燃えて血潮湧く」(大川周明「則天行地歌」)/「世溷濁而不分兮」(屈原「離騒」)
2.
権門上に傲れども
国を憂ふる誠なし
財閥富を誇れども
社稷を思ふ心なし
・権門〜・・・「権門上に傲れども 国を憂ふる誠なし」(「則天行地歌」)
・財閥〜・・・「財閥富を誇れども 民を念ふの情(こころ)なし」(「則天行地歌」)
3.
ああ人栄え国亡ぶ
盲たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり
・ああ人〜・・・「嗚呼人栄え人沈み 国また起り国亡び」(土井晩翠「夕の思ひ」『天地有情』)
・治乱〜・・・「治乱興亡おもほへば 世は一局の棊なりけり」(土井晩翠「星落秋風五丈原」『天地有情』)
4.
昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫
胸裡百万兵足りて
散るや万朶の桜花
・正義に結ぶ丈夫が・・・「正義に結ぶ益荒雄」(「則天行地歌」)
・胸裏百万〜
・・・「胸裏百万兵はあり」(「星落秋風五丈原」)
5.
古びし死骸乗り越えて
雲漂揺の身は一
国を憂ひて立つからは
丈夫の歌なからめや
・雲漂揺の〜・・・「雲飄揚の身はひとり」(土井晩翠「暮鐘」『天地有情』)
・丈夫の歌〜・・・「いづくか歌のなからめや」(「万有と詩人」)
6.
天の怒りか地の声か
そもただならぬ響あり
永劫の眠りより
醒めよ日本の朝ぼらけ
・醒めよ〜・・・「時「永劫」のふところを/出でしわが世のあさぼらけ」(「万有と詩人」)ここはそれほど明確な引き抜きではないが、当該の詩からの盗用が多いこと、及び字句の配置が似ていることから参照のあとがうかがわれる。
7.
見よ九天の雲は垂れ
四海の水は
雄叫びて
革新の機到りぬと
吹くや日本の夕嵐
・見よ・・・「見よ九天の雲は垂れ 四海の水は皆立て」(「星落秋風五丈原」)
8.
ああうらぶれし天地の
迷ひの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に
誰が高楼の眺めぞや
・誰が高楼の〜・・・「誰が高楼の眺めぞや」(土井晩翠「雲の歌」『天地有情』)
9.
功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらふ
・功名〜・・・「功名いづれ夢のあと 消えざるものはただ誠」(「星落秋風五丈原」)
・人生〜・・・「人生意気に感じては 成否を誰かあげつらふ」(「星落秋風五丈原」)/「人生感意気 功名誰復論」(魏徴「述懐」)
10.
やめよ離騒の一悲曲
悲歌慷慨の日は去りぬ
われらが剣今こそは
廓清の血に躍るかな
・やめよ〜・・・「やめよ離騒の一悲曲」(土井晩翠「赤壁図に題す」『天地有情』)離騒は屈原の詩。

 

<備考>

[曲について]
 作者の三上卓は5・15事件の叛乱将校。海軍中尉。

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 三上は詩に「昭和五年佐世保軍港一夜梗概作之時年二十四歳也」とサインしているようですが[1]、歌詞には土井晩翠の詩集『天地有情』に収められた諸篇(特に「星落秋風五丈原」)および大川周明の「則天行地の歌」からの影響が強くみられます。影響というか、剽窃に近い引用の多さです。今風に言えばパクり、コピペ。

 大川周明の詩は兎も角、屈原や諸葛亮に自身を重ねるのは何とも危うい発想です。軍人がひとり「意気に感じて」「成否」を考えずに行動されてはたまったものではありません。詩文上の浪漫主義と実際の政治が結びつくとこうなるという一つの典型でしょうか。或いは二次元と三次元を区別できなかった者の末路。

 しかも晩翠の「星落秋風五丈原」で描写される諸葛亮は後世に美化された虚像です。一般的に孔明は「前出師表」や文天祥の「正気歌」の影響、更には『三国志演義』によって忠心の塊のような人物だと思われています。そのような虚像としての孔明が政治の参照にはならないのは勿論の事です。

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 この歌がただの盗用ソングに留まらずたいへん危ういのは、このような虚構としての孔明の上にえがかれた「誠」を恰も自分の内側にあるものと解釈しなおし、自己正当化の具としている事でしょう。

 「星落秋風五丈原」の諸葛亮は「過去」「虚構」「外国」と様々な要素からして「現在」「現実」「自国」に存在する読者の主観の外部にある存在でした。つまりその「誠」もまた博物館のガラスケースの先にあるような、明らかに鑑賞者の外に存在するものだった訳です。

 ところが、「青年日本の歌」ではその「誠」が読者の主観の内側にあるように巧みに配置されています。孔明の忠心は「過去」「虚構」「外国」ではなく、ここでは「現在」「現実」「自国」のものとなって歌う本人の内側に宿るという仕組みです。

 従って、政治思想に酔って冷静でなくなった人間が口ずさめば、立派な自惚れ鏡になる可能性があります。特に現実に嫌気が差している人間にはその危険が増します。示唆的なのは、叛乱した将校たちが出世コースから外れて、将来栄達の見込みがなかった落ちこぼれだったという事でしょう。ただの自意識過剰な自惚れに過ぎないのですが・・・

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 文学上の浪漫主義はそのような落ちこぼれた人にも、二次元世界では主人公にしてくれる優れた装置です。現在の我々は二次元と三次元を明確に区別し、二次元世界の情報を統御する事で豊かな生活を営んでいますが、これこそ現代日本文化の精華たるオタク文化ではないかと思います。

 叛乱将校は三次元世界で落ちこぼれた挙句、純粋に二次元に耽溺することもできず、また二次元を慰みとしつつつらい三次元を日々耐え抜くという常識的な生き方も模索せずに、意味不明な維新ごっこへと没落していった、空虚な存在に過ぎません。

 しばしばその行動は愚かであったが感情はすばらしかったという部分肯定もみられますけども、それこそ最大の問題点であって、その感情の暴走した先走りがその後の日本の行動を(彼等の思想からすればかなり困った方向へと)拘束した事を鑑みれば、およそ是とすることではないでしょう。少なくとも現実に対応すべき政治や軍事の観点からすれば。

<脚注>
[1] 日本の唱歌 ()』 金田一春彦ほか編 講談社、1982年、183頁。

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<参考関連文献>
・「
離騒」 屈原
・『
正史 三国志〈5〉蜀書』 「前出師表」(諸葛亮)を収録
・「
則天行地歌」 大川周明
・「
星落秋風五丈原」 土井晩翠

A.U.C.2759年11月20日更新

 

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