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鎮魂頌
1959

作詞:折口信夫
作曲:信時潔

 

思ひみる人の はるけさ
  海の波 高くあがりて
  たゝなはる山も そゝれり。
かそけくもなりにしかなや。
  海山のはたてに 浄く
  天つ虹 橋立ちわたる。
あの大戦で散った人々の偉大さを思い返してみる。
何事もなく平穏に海には波が押し寄せ、
山々はそそりたっている、
そんな平和な今の世の中ではあるけれども、
かの人たちの勲功は霞んでしまったというのであろうか。
否、今もみなの心のうちにはっきりとある。
海と山の果ての空には美しく虹がかかっている。
そんな平和な世にも忘れ去られる事はないのだ。
現し世の数の苦しみ
たゝかひにますものあらめや。
   あはれ其も 夢と過ぎつゝ
   かそけくも なりにしかなや。
今し 君安らぎたまふ。
とこしへの ゆたのいこひに
ただでさえ世の中には苦しい事が多いのに、
わざわざ戦いに赴くものがいるであろうか。
しかしかの人たちは敢えて戦いに征かれたのだ。
ああ、そういった戦いも夢のように早く過ぎてしまったけれども
かの人たちの勲功は霞んでしまったというのであろうか。
否、今もみなの心のうちにはっきりとある。
今、天皇陛下は変わず憂いなくおわしますのも、
かの人たちの戦いによるものなのだ。
あはれ そこよしや。
あはれ はれ さやけさや。
  神生まれたまへり。
  この国を やす国なすと
   あはれ そこよしや
   神こゝに 生まれたまへり
ああ、立派なことだ。
ああ、天晴れ潔いことだ。
大戦に亡くなった英霊は神となられた。
この国を安んじようと決意され、
(ああ、その立派な心意気よ)
散華された英霊はこの靖国神社で神となられたのだ。

 

<備考>

[曲について]
 「鎮魂頌」は折口信夫(作詞、
1947年)と信時潔(作曲、1959年)の手になる鎮魂歌です。信時はご存知「海ゆかば」で知られる作曲家、折口は国学の大家でした。

 折口は戦時下における戦争詩含め、戦争関連で万葉調の難解な詩を幾つか発表していますが、曲として収録されたものは極めて稀です。それ故録音の多いこの曲は貴重なものといえるでしょう。今日存在する鎮魂歌のほとんどは平易な歌詞ですが、その中でこの鎮魂頌は異彩を放つ存在だと思います。

 信時の曲も「海ゆかば」に匹敵する重厚かつ荘重なもので、歌詞とあわせ出色の出来となっています。戦後、作曲を控えていた信時の数少ない作品という意味でも価値のある存在です。

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 上掲の現代訳はもとより正確なものではありませんが、たぶんこのような意味なのでしょう。折口の詩ですから、国文学の中に元ネタが見つかるのかもしれませんが、今のところ不明です。

 なお、3番の「あはれ」「はれ」「そこよしや」の箇所は以前、囃子詞であるため特に意味なし、として訳出していませんでしたが、ウェブ拍手のコメントで不適切との指摘を賜り、訂正いたしました。指摘していただいた方、ありがとうございました。

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<音源情報、参考文献>

 鎮魂頌の音源として、ウェブ上ではここがあげられます。それ以外だと靖国神社が制作したCDに掲載されています。こちら(靖国神社の売店で販売している他、通販可)。

 折口信夫の業績としては、中公から出ている本が手軽でしょうか。

古代研究〈1〉祭りの発生
古代研究〈2〉祝詞の発生

など。神道に興味がある人は読むと面白いと思います。

 信時潔はみなさんご存知だと思いますが、最近こんな本が出ました。

信時潔 新保 祐司 ()

 著者が保守系の論壇紙に掲載した文をまとめたものです。なかに2003年の海道東征演奏についての文もあります。

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 なおALI PROJECTのCD「Dilettante」に収録されている「鎮魂頌」は、題名や歌詞内容からこの曲の影響を受けたものだと考えられますが、曲自体は別物です。間違える人は少ないと思いますが、一応書いておきます。

 

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