西洋軍歌蒐集館日本軍歌CD評日本軍歌保管庫

日本軍歌保管庫
あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や・ら・わ行

国民歌
台湾軍の歌

作詞:台湾軍報道部
作曲:山田栄一

1940

収録:軍歌・戦時歌謡大全集2/昭和の軍歌

<歌詞>

1.
太平洋の空遠く 輝やく南十字星
黒潮しぶく椰子の島 荒波吼ゆる赤道を
睨みて起てるみんなみの
  護りは我等 台湾軍
    ああ 厳として 台湾軍

2.
歴史は薫る五十年 島の鎮と畏くも
神去りましし大宮の 流れを受けて蓬莱に
勲をたてしみんなみの
  護りは我等 台湾軍
    ああ 厳として 台湾軍

3.
滬寧のいくさ武漢戦 海南島に南寧に
弾雨の中を幾山河 無双の勇と謳はれて
精鋭名あるみんなみの
  護りは我等 台湾軍
    ああ 厳として 台湾軍

4.
今極東の黎明に 興亜の鐘は鳴り渡り
五億の民が共栄を 目ざして築く新秩序
前衛としてみんなみの
  護りは我等 台湾軍
    ああ 厳として 台湾軍

-

<メモ>

 この軍歌の歌詞や作詞・作曲者情報は錯綜しているが、現在もっとも信頼でき且つまとまっている資料は以下である。

「台湾軍の歌」覚書 −日本統治下台湾諸歌の一齣−(pdf)

 主だった内容は、

(1)「台湾軍の歌」が二種類(1932, 1940)存在しているということ。
(2)1940年の歌を「台湾派遣軍の歌」とするのは謬説であるということ。
(3)1940年版の作詞者は台湾軍報道部、作曲は者山田栄一であるということ。
(4)1940年版の「作詞本間雅晴、作曲大沼哲」説の淵源は、「光輝かがやく台湾軍」という別の歌と取り違えた可能性があるが、詳細は不明であるということ。及び「作曲と山学校軍楽隊」説の起源は不明であること。

 など。

 なお、JASRACの権利者情報は「作詞:本間雅晴、作曲:山田栄一」としている。にもかかわらず、軍歌CDでは作曲者を戸山学校軍楽隊としているのは謎。戦後に新しく吹き込む際に何を資料として用いたのかがわかると、この辺の事情がわかるようになるかもしれない。

 また、歌詞は次のサイトにある画像に拠った。「台湾軍の歌」

あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や・ら・わ行

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