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国民歌/愛国歌
戦陣訓の歌
1941

作詞:(競作)
作曲:(競作)

 

収録:軍歌戦時歌謡大全集)、ビクター版

「戦陣訓の歌」
作詞:梅木三郎
作曲:須摩洋朔
(ビクター版)

「戦陣訓の歌」
作詞:佐藤惣之助
作曲:古関祐而
(コロムビア版)
「戦陣訓の歌」
作詞:藤田まさと
作曲:江口夜詩
(ポリドール版)
「戦陣訓の歌」
作詞:吉川英治
作曲:(合作)
(キング版)

1.
日本男児と生れきて
[...]

1.
夫れ戦陣のつはものは
ただ勅諭を命とし
忠に魁け義に勇み
大日本の花と咲け

2.
神武の精神厳かに
命令一下欣然と
生死を越ゆる団結は
我が皇軍の誉れなり

3.
戦へば攻めこれを取り
妨げば敵を懼れしむ
勝たずば止まぬ我が武威を
青史に赫と輝かせ

4.
天にも恥じぬ赤誠は
忠孝一に志し
強く正しく欲に勝ち
清節武人の名を惜しめ

5.
ああ厳として大いなる
「戦陣訓」を胸に留め
大国民の誇り持て
皇威を外に範すべし

1.
天皇 上に在しまし
[...]
本訓(其一)
第一 皇国

ますらを我等 こゝにもつ
血しほは二千 有余年。
かみ 天皇を いたゞきて
しも 億兆も ひとつなる
大和のまもり 軍にあり

本訓(其一)
第二 皇軍
第三 軍紀

ますらを我等 かしこくも
陛下に侍して つねに立つ。
身は戦陣に あるとても
みださぬ軍紀 一系に
神武のみむね 軍にあり

本訓(其一)
第六 攻撃精神
第七 必勝の信念

ますらを我等 おくるべき
ひとたび ふるひ 立つときは。
見よ 奮迅の 鬼神か
聞け 信念の 天つ声
必勝期して 軍にあり

本訓(其二)
第一 敬神
第二 孝道

ますらを我等 忘れめや
神みそなはす われなるを。
たとへかばねに 草むすも
神霊照らん 忠孝の
道義のかゞみ 軍にあり

本訓(其二)
第四 戦友道

ますらを我等 手をとらむ
生れあひたる この世紀。
死生もともよ 名もともよ
扶け みがきて うるはしの
戦友道ぞ 軍にあり

本訓(其二)
第七 死生観
第八 名を惜しむ

ますらを我等 名を惜しめ
故郷に 家に 恥あるな。
身を薫ばしの 華として
青史にきそふ 悠久の
たかき 生命ぞ 軍にあり

其他 総意
ますらを我等 いざ行かむ
になふ使命に ほゝ笑みて
わが一億の 興亡と
義を八紘に 示すべき
その戦陣ぞ 今日にあり

 

<備考>

[曲について]
 19411月、長期化する支那事変で弛緩した陸軍兵士の規律を回復するため、全陸軍に「戦陣訓」が示達されました。

 「戦陣訓」というと、「生きて虜囚の・・・」の部分ばかりが強調されますが、文面の作成には島崎藤村や土井晩翠といった文人たちが参加した結果、たいへん格調高いものに仕上がっています。漢籍や国書からの引用も鏤められており、読んでいてなかなか面白いものです。

 示達の時の陸相は東条英機で、彼は「戦陣訓」の普及に努めました。いちはやく暗記した他、レコードに吹き込んで市販してもいます。この音源は現在ビクター発売の「軍歌戦時歌謡大全集」で聞くことが可能です。

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 さて、当時の常としてこのような軍のイベントがあると呼応して歌もつくられます。

 まず最初にビクターが「戦陣訓の歌」を製作します。作詞は東京日々新聞記者の梅木三郎(本名、黒崎貞治郎)、作曲は陸軍軍楽隊隊員の須摩洋朔でした。数々のヒット軍歌を送り出した東京日々新聞だけにさすがに手が早いといったところでしょうか。

 これに対し、コロムビア(朝日新聞社とグル)やポリドール(読売新聞社とグル)も負けじと同名の「戦陣訓の歌」を製作します。結果として、作詞・作曲者がそれぞれ違う同名の三曲が日の目をみることになりました。

 一番ヒットしたのは、やはりビクターの「戦陣訓の歌」でしたが、コロムビアやポリドールのものもなかなかビックネームが製作に携わっています。以下の通り。

コロムビア:佐藤惣之助作詞、古関裕而作曲
ポリドール:藤田まさと作詞、江口夜詩作曲

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 歌詞を見たところ、コロムビアやポリドール版は戦陣訓の文言をそのままなぞっている部分が多い印象です。ビクター版は、それほど戦陣訓の文言に拘らなかったところが良かったのかもしれません。

 音源としては、軍歌戦時歌謡大全集)に戦前録音が収録されています。

 

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