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軍歌
来たれや来たれ
(軍歌/皇国の守)
1885

作詞:外山正一
作曲:伊沢修二

 

収録:軍歌・戦時歌謡大全集1 明治・大正の軍歌

1.
来れや来れいざ来れ
御国を守れや諸共に
寄せ来る敵は多くとも
恐るる勿れ恐るるな
死すとも退くこと勿れ
御国の為なり君のため

2.
進めや進めいざ進め
弾は霰と飛び来るも
剣ハ林を為すとても
ためらふことなく進み行け
死すとも退くこと勿れ
御国の為なり君のため

3.
勇めや勇め皆勇め
剣も弾もなんのその
皇国を守る兵士(つはもの)ハ
身ハ鉄よりも猶堅し
死すとも退くこと勿れ
御国の為なり君のため

4.
勉めよ勉め皆共に
汚しことなき国の名を
汚せしものぞと後の世に
言れぬやうにと覚悟して
死すとも退くこと勿れ
御国の為なり君のため

5.
懐へよ懐へ能く懐ひ
神より受けたる此国ハ
我身の失せざる其中ハ
人手に決して渡さずと
死すとも退くこと勿れ
御国の為なり君のため

6.
守れや守れ皆共に
異国の奴隷と成ることを
恐るるものハ父母の
墳墓の国をバ能く守れ
死すとも退くこと勿れ
御国の為なり君のため

7.
恐るる勿れ恐るるな
民をハ愛する我君を
国をバ愛する兵(つは)ものに
勝つへきものハ世に非す
死すとも退くこと勿れ
御国の為なり君のため

8.
進めや進め皆進め
腐りし心のなきものハ
命を惜ます進み行け
御国の旗を押立て
死すとも退くこと勿れ
御国の為なり君のため

9.
進めや進め皆進め
御国の旗を押立て
進めや進め皆進め
祖先の国を守りつつ
死すとも退くこと勿れ
御国の為なり君のため

出典:『軍歌』 錦松堂、1886年、5-8頁。

 

1.
きたれやきたれやいざきたれ。
皇国をまもれやもろともに。
よせくる敵はおほくとも
おそるるなかれ恐るるな。
死すともしりぞく事なかれ。
皇国のためなり君のため。

2.
いさめやいさめやいざいさめ。
つるぎもたまも何のその。
皇国を守るつはものの
身は鉄よりもなほかたし。
死すともしりぞくことなかれ。
皇国のためなり君のため。

3.
まもれやまもれやみなまもれ。
他国の奴隷となることを
恐るるものは父母の
墳墓の国をよくまもれ。
死すともしりぞくことなかれ。
皇国のためなり君のため。

4.
すすめやすすめやみなすすめ。
皇国の旗をばおし立てて
すすめやすすめやみなすすめ。
先祖の国をまもりつつ
死すともしりぞくことなかれ。
皇国のためなり君のため。

出典:『明治唱歌 第一集』 大和田建樹、奥好義編
中央堂、1888年、27頁。

 

<備考>

[曲について]
 1886年に発売された『軍歌』という本に「軍歌」という題で初出。全9番。作詞者は「抜刀隊」の外山正一、作曲者は音楽取調掛の伊沢修二でした。ただ、すでに1885年には、音楽取調所の生徒や軍楽隊員によって盛んに歌われていたといわれているので[1]、成立はこの年以前でしょう。

 1885年はルルーが「抜刀隊」を作曲した年であり、これより更に遡るならば、「日本最初の軍歌」の候補にのぼるかも知れません。なんたって、題名が「軍歌」ですし。

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 この「軍歌」は1888年の『明治唱歌』では、「皇国の守」と改題され、4番にまとめられました。歌詞も一部変わっています。現在、よく知られているバーションは、この『明治唱歌』の方です。コロムビアの『軍歌・戦時歌謡大全集1 明治・大正の軍歌』収録の音源もこれ。

 日清戦争の差し迫った1893年に、『小学唱歌 第五巻』にも収録され、その際題名が「来れや来れ」となっています。

 従って、題名は「軍歌」→「皇国の守」→「来れや来れ」と変遷したということになります。もっとも、よく歌われていたということで、当時から様々な題名で呼ばれていたのではないかと思われます。

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<脚注>
[1]
堀内敬三 『定本 日本の軍歌』 実業之日本社、1969年、44頁。

 

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