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声澄む春
皇紀2665年12月26日更新

作詞:折口信夫

 

前知識

 国学者・折口信夫による皇紀2600年記念賛歌です。2600年の5月に作詞されました。内容は神武天皇の東征から建国至るものとなっています。同じ趣旨でつくられた北原白秋の神武天皇賛歌「海道東征」と比較してみると面白いでしょう。

 

 ――国の祝ひ、二千六百年、ほぎとほし、ほぎくるほしゝころ

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大倭 日高見の国―。
 国ひろし 島の崎々
 人多し 民拡りて、
 栄えゆく御代のさかりに、
  遠き代を詳らにしぬび
  いにしへを沁々に思へど、

   我どちの言ひ出ることは
   をぢなしよ―神に堪へねば、
 うつそみの 人の世にして
 神ならふ
   神の代近き旧事を
   如何伝へむ。

 国の秀に、尾花波寄り
 波の穂に、大魚浮きつゝ
八洲国いまだ稚くて、
 山の巌 野の茸も
 ことゞひし昔なりけり―。

  天飛ぶや 鳥の御船に
  国形象を空に知らして、
   天降りつく 饒速日
   物部の遠つ神父
    国治ると こゝにうしはき、
    民納ると そこに励めど、
   国の隈 彼面此面に、
   八十梟帥おほく屯集みて、
   喚ぶ声 地をゆりにき。

 荒汐の汐路重り、
 荒山は 尾根連れり。
 白雲の道は絶えつゝ
とほゞゝし 日向の国の
青雲の中なる宮ゆ、
 見さけます 神の尊の詔命ぞ、
   よろしかりける―。

中つ国さやぎてありけり。
神ながら 行きて処理めむ―
 宣しつゝ こゝに降らし、
出で立たす宇陀の高原―
野の上より 風の行く如
 宇賀志越え 山尾くだりに、
 忍坂過ぎ 磐余を行けば、
  磯城の野の野も狭の草は
  額あぐる隻葉すらなし。

服はず立ち抗ひし猪の祝 巨瀬の祝
新城戸畔
山の土蜘蛛 野の土蜘蛛
高尾張邑の侏儒

 こゝに撃ち かしこに屠り、
いや果てに 讐とも讐と悪み来し
八束長髄 登美彦ぞ
ほろびけるはや―。

 久米軍 大伴軍 勝ちとよみ とよもす国内―。
  八咫烏 空に舞ひ出で
  金色鵄 光りて降る―。
  浅皿に粮盛り、
  厳瓮には 飴を練り
   据ゑ献る神の大前―。

-

大倭 日高見の国―。
 日ねもすに 四方は霞みて、
 陽炎は 山に立ちたり。
  国原は 物音絶えて
  静かなり。青垣ごもり―。

 広原の大野の彼方ゆ、
 時ありて 響き来るもの
  野のすだま 山のこだまも
  聞き知らぬ ものゝおとなひ―
遥々に こゝに伝ひ来。

畝傍の橿原の底つ磐ねに 宮柱太しり、
高天の旗青雲の上に 千木高しり、
肇国治す 天皇が 大安宮奉造る音の、
たゞこゝに
  今の現実に とゞろきやまずー。

神日本磐余彦火々出見尊―
 大御名は 讃へまつりて
 つかへ初めまつりし神の
 宮どころ 現実目に見つゝ

  秋の葉のかゞやく時に
  参到り、山に向へば、
  山の木も 遠世の色に―
 うちわたす国原の上に
 かげりつゝ過ぎ行くものは、
  ひさかたの 天の白雲
二千六百年来経て、
皇祖の国は 栄えぬ。
大君の民ぞ 蕃殖る。
とこしへに かはるべからぬ大日本かも。

-

反歌

畝傍山。白檮の尾の上にゐる鳥の 鳴き澄む
聴けば、遠世なるらし


文中の「遙」は之繞に「貌」。
同じく文中の「沫」は三水に「區」。

 

参考関連文献

古代研究〈1〉祭りの発生 折口信夫(著)
古代研究〈2〉祝詞の発生 折口信夫(著)
死者の書・身毒丸 折口信夫(著)
神々の闘争 折口信夫論 安藤礼二(著)

折口信夫全集 第23巻 作品3 詩 (23)

 

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