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軍歌
航空百日祭
1941

作詞:梅岡信明
作曲:家弓正夫

 

収録CD:TWIN BEST 軍歌

1.
望めば遥か 漂渺の
七洋すべて 気と呑みて
悠々寄する 雲海の
果て玲瓏の 芙蓉峰
ああ八紘に 天翔ける
男子の誇り 高きかな
望み見れば 果てなく広い七つの海原。
しかし、そんな七つの海でさえ圧倒するほど我々の気概は大きい。
ゆうゆうと迫ってくる雲海。
その果てには美しい富士の山が聳え立つ、そんな広大な光景。
ああ 世界を飛び翔ける男児の誇りとは、
この雄大な光景のように高く大きなものなのだ。
2.
朝富嶽の 気を慕ひ
夕照る月に 嘯きし
四季うるはしき 武蔵野の
武窓に深き 追憶に
あと百日の おとづれも
そぞろ名残りの 深きかな
朝には 富士山の空気のような清らかさを追い求め、
夕方には 月に向かって自らの理想を述べたてた毎日だった。
(つまり現実よりも理想に目が行きがちな若い日々のこと)
そんな四季の彩りが美しい武蔵野にある
航空士官学校における日々を思い出すにつけても、
卒業するまでのあと百日間が
言い様もなく とても名残惜しいものだ。
3.
されどめぐらせ 我が思ひ
図南の翼に あこがれて
淡紺青の 襟めざし
修武の台に 集ひたる
五誓に結ぶ 丈夫の
いかで忘れん このよしみ
しかしかつて(入学前)の意志を思い出せ。
我らは国運を担う航空分野に憧れて、
淡紺青の襟章をつけた航空士官になろうと
この修武台に集まったのではないか。
軍人勅諭の五箇条のもと 結束する我ら軍人が
どうしてこの士官学校での友情を忘れることがあろうか。
4.
鬼怒の河畔に 仮り初めの
結ぶ露営の 草枕
戦さの術を 学びては
常盤社頭の 花吹雪
つばさ憩ひし 舘山や
照り添ふ筑波の 秋の月
鬼怒川の河畔における
野営の思い出も懐かしい。
戦略戦術を学び終えた後は、
常盤神社の花吹雪のように潔く散る覚悟だ。
かつて滞在した舘山の地では、
秋の夜空に、筑波山の上 月が美しく輝いていたものだ。
5.
期す征空に 血汐鳴る
われらが気鋭 いま見ずや
秋空のごと 恬淡の
至誠至純の 心もて
皇御空の 雲越えて
純忠の義に 生きんのみ
いずれ行う航空戦を思い描いては 血潮がたぎって来る。
今こそ この我らの意気込みを見せてやろう。
無欲で清らかな秋空のように
我らはこの上なく誠実で純粋な心を持ち、
そして祖国の空をこえ異国の地にゆこうと
ただ忠誠の道を究めるのみだ。
6.
よし行く道は 異なるも
大航空の 血は一つ
いざ全天の 雲呼びて
相搏つ空の 決戦に
誓ひて持せん 我が気節
陸空軍の 名に負ひて
たとえ進む道が(「操縦」や「通信」など)異なっても
航空士官学校出身者の絆はひとつだ。
さあ いまこそ全ての雲を呼び集めて
航空機が合い交える空の決戦へと赴こう!
我らが誓った気概と節度を、変わらず
陸軍航空部隊の名の下に持ち続けようぞ。
7.
扶桑に羽ばたく 九万里
(*)
向うはいづこ 六大洲
寄る波に見よ 太平洋
吹く風に聞け 大亜細亜
われらが行手 雲暗く
鵬翼いよよ 勇むなり
日本の空に高く舞い上がり、
我らは世界中へと翔けてゆく。
寄せて来る波を見よ、これが太平洋だ、
吹き付ける風を聞け、ここが大アジアだ!
我らが行く先には暗雲が立ち込めているが、
しかしだからこそ一層奮い立って来るのだ。
8.
誓ひし翼 別つべき
雲上高き この宴
明くる世界の 春めでつ
高層風の 香に和して
歌はん 航空百日祭
祝はん 航空百日祭 
この航空百日祭の宴は、
士官学校で忠誠を誓い合った我々が
分かれて行く日を想いながら、高い理想を語りあう集いだ。
(日本の大業の下、共産主義などの黒雲から)
明けてゆく世界の新展開を喜びつつ、
大空に吹く悠々とした風に調子を合わせて
我らはこの航空百日祭を歌おうではないか。
我らはこの航空百日祭を祝おうではないか。

*)九万里 9万里は約36万キロに相当する。赤道が約4万キロである事を考えれば、この数値は異常である。それ故、何らかの比喩だと考えざるを得ない。

 おそらくは『荘子』の内篇第一にある「鵬之徙於南冥也、水撃三千里、搏扶搖而上者九万里」の箇所を想定しているものと思われる。同じ7番歌詞中には「鵬翼」という表現もある事も傍証となろう。要するにここでは航空兵の行動範囲、視野の広さを喩えているわけである。

 

<備考>

[曲について]
  
ビクターの軍歌CD)に収録されている戦後録音軍歌屈指の名曲、「航空百日祭」。今回はこの軍歌の現代語訳を試みてみました。

 語彙自体はそれほど難解なものではありませんが、固有名詞など曲の背景となっている状況の把握に難がありました。今回も全ての言葉が把握できたわけではありませんが、大体以下のような意味であると考えられます。固有名詞の説明を挟みつつなので訳がぎこちないですが、ご容赦を。

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 陸軍航空士官学校は1938年に設立。所在地は埼玉県の豊岡(現入間市)で、昭和天皇より「修武台」という名称を送られています。

 その後1941年にこの航空士官学校で百日祭(卒業百日前に行われる別離の会)が実施される事になり、それに合わせて作られたのがこの「航空百日祭」という軍歌です。作詞者も作曲者も同校の在籍者でした。それ故、歌詞も離別と卒業後の決意が主要な内容となっています。

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<音源情報、参考文献>

 ・TWIN BEST 軍歌) 取り敢えずは音源が収録されているこちらのCDを。未聴の方はこの機会に是非。

 ・軍歌大全集 もうひとつ当曲が収録されているのがこの軍歌CD集。ただしこれは素人のアカペラばかりなのであまりオススメできません。

 ・荘子 第1冊 内篇 (1)  『荘子』の内容を確認したい方はこれで。前4冊ですが、「九万里」の箇所は第1冊の冒頭にあります。

 

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